自己実現コーチ 伊藤豪

幸福に必要なのは「社会の安定」「精神の安定」「自己実現」。それらについて語るブログです。

精神状態を安定させる方法3

 

 

前回に続き、今回も、精神状態を安定させる上で、特に重要になることについて、お伝えします。

 

今回は、自分を「常に、自分の存在価値を実感している状態」にするということについてです。

 

 

 人間が幸福を感じる上で、「自分には存在価値がある」と実感できることは、とても重要です。

 

 ですが、世の中の多くの人は、自分に価値を見いだせていないようです。

 

 その理由は単純です。

 

 理由は、その人が持つ「『人間の価値』を測る判断の基準(価値観)」が、自分の価値を見出せないものだからです。

 

 例えば、「成績がいい人には価値があり、成績が悪い人には価値がない」という考えを、「『人間の価値』を測る判断の基準」にしている人は、成績が悪かったら自分に価値を見出すことができません。

 

 また、「容姿がいい人(かっこいい人、きれいな人、かわいい人)には価値があり、そうでない人には価値がない」という考えを、その「判断の基準」にしている人は、自分の容姿が良くなかったら、自分に価値を見出すことができません。

 

 また、「裕福な人には価値があり、貧しい人には価値がない」という考えを、その「判断の基準」にしている人は、裕福でなかったら自分に価値を見出すことができません。

 

 他にも様々なものがありますが、多くの人は、このような、自分に価値を見出せない考え(価値観)を「『人間の価値』を測る判断の基準」にしているために、自分に価値を見出せていないのです。

 

 

 それでは、私たちは、どのような価値観を持つ必要があるのでしょうか。

 

 このことを理解するためには、そもそも人間の存在価値とは、どのようなものかを理解する必要があります。

 

 

 全ての社会的生き物に共通して言えることですが、社会的生き物における個体の存在価値は、「自分が所属している『社会』に貢献して生きる」ところにあります。

 

 社会的生き物には、社会をつくり、その中で生活する性質があります。

 

 ですから、社会的生き物における全ての個体は、自分が「望む」「望まない」にかかわらず、「社会を構成する一員」として社会の中で生活しています。

 

 これは、「『社会的生き物』における全ての『個体』は『社会』に依存して生きている」ということであり、「『社会を存続させること』によってのみ、『生きること』と『種族を存続させること』ができる」ということです。

 

 ですから、どのような社会的生き物でも、その社会に所属している全ての個体は、当然のこととして、「『自分が所属している社会を存続させる』ための働きかけ」をしています。

 

 

 例えば、「アリ」「ハチ」「オオカミ」「ライオン」等は、その「社会(群れ)」に所属している全ての個体が、当然のこととして、「『自分が所属している社会(群れ)を存続させる』ための働きかけ」をしています。

 

 彼らは、自分が所属している社会(群れ)がなくなったら、自分が生きることも、種族を存続させることもできなくなります。

 

 ですから、彼らは、当然のこととして、「『自分が所属している社会(群れ)を存続させる』ための働きかけ」をしているのです。

 

 

 このように、社会的生き物における全ての個体は社会に依存しているので、社会的生き物における全ての個体にとって、「『自分が所属している社会』を存続させること」は、「自分が生きること」と同じレベルで重要になります。

 

 ですから、「『自分が所属している社会の存続』に大きく貢献している個体」は、必然的に、その社会を構成する全ての個体にとって「価値ある存在」となります。

 

 逆に、「『その社会の存続』に貢献していない個体」は、「価値のない存在」となります。

 

 それどころか、そもそも社会は、その社会を構成する全ての個体の働きによって成り立っているので、社会に所属しているにもかかわらず、その社会の存続に全く貢献していなかったら、その個体は、その社会にとって「不必要な存在」となります。

 

 

 これらのことから、社会的生き物における個体の存在価値が、「自分が所属している『社会』に貢献して生きる」ところにあることが分かります。

 

 社会的生き物における全ての個体は、「自分が所属している『社会』に貢献している」からこそ、「『自分が所属している社会を存続させるための働きかけ』をしている」からこそ、存在価値があるのです。

 

 

 さて、このように、社会的生き物における個体の存在価値は、「自分が所属している『社会』に貢献して生きる」ところにあるので、「人間の存在価値(『人間社会』における『個人』の存在価値)」も、当然、「『人間社会』に貢献して生きる」ところ、「『人間社会を存続させるための働きかけ』をして生きる」ところにあります。

 

 ですが、私は、人間が幸福を感じるためには、そこから一歩進んだところに「人間の存在価値」を見出す必要があると考えます。

 

 

 全ての人は、本質的に幸福を求めています。また、全ての人には、幸福になる権利があります。ですから、社会は、全ての人が幸福を感じられる状態であるべきだと言えます。

 

 そこから考えて、私は、「『全ての人が幸福を感じられる社会』を維持する働きかけをして生きる」ところに、「人間の存在価値」があると考えます。

 

 

 能力が高いか低いかは関係ありません。裕福か貧しいかも関係ありません。容姿が綺麗か、綺麗でないかも関係ありません。

 

「全ての人が幸福を感じられる社会」を維持する働きかけをして生きているかどうかが問題なのです。

 

 つまり、どれだけ「能力が高い人」「成績がいい人」「容姿がいい人」「裕福な人」「有名な人」「強い権力を持っている人」であっても、「『全ての人が幸福を感じられる社会』を維持する働きかけ」を全くしていなかったら、その人は、「価値のない存在」ということです。

 

 逆に、どれだけ「能力が低い人」「成績が悪い人」「容姿が悪い人」「貧しい人」「有名でない人」「権力がない人」であっても、「『全ての人が幸福を感じられる社会』を維持する働きかけ」をしているなら、その人は、「価値ある存在」ということです。

 

 また、「能力」「人を取り巻く状況」「運」等は人によって違うので、「『全ての人が幸福を感じられる社会』を維持する働きかけ」をしようと思っても、「上手く行なえる人」「上手く行なえない人」「たくさん行なえる人」「あまり行なえない人」がいます。

 

 ですが、たとえ「上手く」「たくさん」は行なえないとしても、「『全ての人が幸福を感じられる社会』を維持する働きかけ」をしているなら、その人は、「『全ての人が幸福を感じられる社会』を支える重要な存在」「価値ある存在」ということです。

 

 

 このような考えを、「『人間の価値』を測る判断の基準(価値観)」として持っていれば、誰でも、自分の心がけ次第で、自分に価値を見出すことができます。

 

「子供」「大人」「お年寄り」「男性」「女性」「能力が高い人」「能力が低い人」「裕福な人」「貧しい人」「政治家」「国民」、また職業にかかわらず、文化にかかわらず、国籍にかかわらず、全ての人が、自分に価値を見出すことができるのです。

 

 人間が幸福を感じる上で、「『自分の存在価値』を実感できること」は、とても重要ですが、誰でも、一生、「『自分の存在価値』を実感すること」ができるのです。

 

 

 このようなことから、精神状態を安定させる上で、意識的に、自分をそのような生き方をしている状態にし、「常に、自分の存在価値を実感している状態」にすることは、とても重要だと言えるのです。

 

 

 つづく